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名古屋地方裁判所 昭和60年(行ウ)10号 判決 1991年3月22日

原告

平山良平

宮崎邦彦

右両名訴訟代理人弁護士

渥美雅康

松本篤周

森山文昭

被告

名古屋市人事委員会

右代表者委員長

椙山正弘

右訴訟代理人弁護士

冨島照男

安井信久

中山信義

右訴訟復代理人弁護士

坂井眞

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実および理由

第一原告らの請求

一原告平山につき

被告が、昭和五八年人委措第三号事案につき、昭和六〇年三月一二日付けでした、要求者の要求はこれを認めることができない旨の判定を取り消す。

二原告宮崎につき

被告が、昭和五八年人委措第四号事案につき、昭和六〇年三月一二日付けでした、要求者の要求はこれを認めることができない旨の判定を取り消す。

第二事案の概要

本件は、名古屋市立中学校の教諭である原告らが被告に対し、地方公務員法第四六条に基づき、それぞれの中学校に喫煙室を設置することを内容とする措置要求をしたところ、被告がこれを認めない判定をしたため、その判定の取消を求めた事案である。

一争いのない事実

1  原告平山は、名古屋市立名南中学校教諭であるが、被告に対し、昭和五八年一一月一一日付け書面で「名古屋市教育委員会は名南中学校職員室内での喫煙を禁止するため、当該職員室に隣接した場所に喫煙室を設置すること」との措置を求めた(本件措置要求一)ところ、被告は昭和六〇年三月一二日付けで「要求者の要求は、これを認めることができない」旨の判定(本件判定一)をした。

右判定の理由要旨は、①原告平山以外の名南中学校(名南中)の非喫煙者の教職員からの事情聴取によれば、職員室における他の教職員の喫煙が苦になったり、むせるようなことはなく、非喫煙者の女性も苦情を言わないと発言している。②中学校の職員室は、常時教員がその室内で勤務することはないので、他の一般の事務室と比較して喫煙等により空気環境が汚染される機会は少ないし、大気汚染地域である名南中の職員室には、中央管理方式の空気調和設備、空気清浄機、換気扇二台が設置されている。③名古屋市衛生研究所が、名南中の職員室で行なった空気環境測定の結果によれば、室における一酸化炭素及び炭酸ガスの濃度は最高でも五PPM及び0.09パーセントであり、事務所衛生基準規則(昭和四七年労働省令第四三号、以下「事務所則」という。)三条二項に規定された基準(室における一酸化炭素及び炭酸ガスの含有率は、それぞれ五〇PPM以下及び0.5パーセント以下)を十分みたしている。また、空気調和設備により室に供給される空気の浮遊粉塵量は最高でも0.08mg/m3であり、当該空気中に占める一酸化炭素及び炭酸ガスの濃度は、最高でもそれぞれ二PPM及び0.05パーセントであり、名南中の空気調和設備は事務所則五条一項に規定された基準(浮遊粉塵量は0.15mg/m3以下、一酸化炭素及び炭酸ガスの含有率は、それぞれ一〇PPM以下及び0.1パーセント以下)に適合するよう十分調整されている。したがって、現時点において、直ちに名古屋市教育委員会(市教委)が喫煙室の設置等の手段により、その空気環境を改善する必要があるとは認め難い。④原告平山は間接喫煙が生徒に与える悪影響及び名南中の職員室が公共空間である旨を主張しているが、これらはいずれも同原告の勤務条件とは関係がない。⑤国、都道府県及び民間並びに名古屋市において、何らかの形で職場の喫煙制限がなされているが、それはまだ一部にとどまっているのが現状であって、現時点において直ちに市教委が喫煙室の設備等により喫煙の制限を行わなくても、必ずしも社会一般の情勢に適応していないとはいえず(地方公務員法一四条参照)、また、名古屋市の状況からすれば、名南中においてのみ不当に喫煙制限の措置がとられていないとはいえない(同法一三条参照)、とされている。

2  原告宮崎は、昭和五八年一一月当時名古屋市立笈瀬中学校教諭であったが、被告に対し、同月一一日付け書面で「市教委が名古屋市立笈瀬中学校に教員及び訪問者のための喫煙室を設置すること」との措置を求めた(本件措置要求二)ところ、被告は、昭和六〇年三月一二日付けで「要求者の要求は、これを認めることができない」旨の判定(本件判定二)をした。

右判定の理由要旨は、①原告宮崎以外の笈瀬中学校(笈瀬中)の非喫煙者である教員からの事情聴取によれば、本件措置要求二以前から喫煙規制の動きがあり、職員室にたばこの煙が充満するようなことはなく、職員室では、たばこの煙のために気分が悪くなったことはないと発言している。②中学校の職員室は、常時教員がその室内で勤務することはないので、他の一般の事務室に比較して、喫煙者により空気環境が汚染される機会は少ないし、笈瀬中の職員室には、換気扇が二台設置され、簡単な間仕切りにより設けられた休憩室にも別個に換気扇が設置され、できるだけその休憩室で喫煙することとされている。③建築物における衛生的環境の確保に関する法律(以下「ビル衛生管理法」という。)施行令二条一号に規定された管理基準(建築物環境衛生管理基準)は、笈瀬中の職員室の空気環境には適用されない。すなわち、笈瀬中の建築物の各棟は、その延べ面積を合計しても五四三八平方メートルにしかならず、「特定建築物」(ビル衛生管理法二条一項、同法施行令一条)に該当せず、また、笈瀬中は中央管理方式の空気調和設備及び機械管理設備を設けて居ない(同法四条一項、同法施行令二条一号)からである。④被告の調査によれば、笈瀬中の職員室の窓その他の開口部の面積及び常時床面積は、それぞれ12.83平方メートル及び168.43平方メートルであり、事務所則三条一項に規定された基準(開口部分の面積は常時床面積の二〇分の一以上)をみたしている。また、名古屋市衛生研究所が、笈瀬中の職員室で行なった空気環境測定の結果によれば、室における一酸化炭素及び炭酸ガスの濃度は、最高でもそれぞれ八PPM及び0.15パーセントであり、事務所則三条二項に規定された基準を十分にみたしている。したがって、現時点において、直ちに市教委が喫煙室の設置等の手段により、その空気環境を改善する必要があるとは認め難い。⑤前記1の④に同じ。⑥前記1の⑤に同じ、とされている。

二争点

原告らは、本件判定一、二は後記のとおり違法であるとして、その取消しを求めるものであり、本訴における争点は、専ら右の点にある。

第三争点に関する当事者の主張

一原告らの主張

1  本件各判定が挙示する理由には以下のとおりの違法がある。

(一) 本件各判定の理由①について

右①の調査は、被告の職員による面接によるものであって匿名による調査ではなく、職場の人間関係についての思惑や公的機関への遠慮から、果して真意を述べることができたかどうか疑わしいのみならず、非喫煙者からの事情聴取はそれぞれ一名のみであって客観性に乏しく、また、原告らが接した原告ら以外の非喫煙者の被害感覚からみても到底実情を反映したものとはいえない。

非喫煙者からの苦情がないことは、受動喫煙(非喫煙者が自らの意思とは無関係に、たばこ煙に暴露され、吸煙させられている状態を言う。)による健康被害、不快感が存在しないことを意味するものでもないし、仮に多くの非喫煙者が受動喫煙による健康被害を自覚せず、あるいは不快感を受忍しているとしても、喫煙は何ら公共性を有するものではなく、単なる個人的嗜好であるから、そのことをもってたばこの煙の不快感に耐えられない者に対して受忍を強いる根拠とすることはできない筈である。

(二) 本件各判定の理由②について

一般の事務室においても労働者の職場への出入りはあり、中学校の職員室が特に「(職員)室内に勤務することが少ない」とはいえない。すなわち、始業前、休憩時間、昼休み時間など、原告らが職員室にいる時には通常喫煙者を含む他の教職員も職員室にいるし、また原告等のそれぞれの職場における喫煙状況の自主的調査によれば、常時一定数の喫煙者が喫煙をしており、決して「空気環境が汚染される機会が少ない」とはいえない実態にある。

受動喫煙は喫煙による煙が大気中に拡散した後に行われるわけではなく、近接した場所で喫煙されることによって、その副流煙(喫煙時に煙草の燃焼部から立ち昇る煙)及び主流煙(喫煙時に煙草の燃焼部分からたばこ自体を通じていったん喫煙者の口腔に移行する煙)に直接さらされ、これを吸入させられることからくるものが主であるから、その防止、軽減のためには、換気扇、空気調和設備などは殆ど意味を持たないものである。しかも、換気扇、空気調和設備は、夏冬の冷暖房を必要とする時期には、冷暖房の効果を著しく低下させるとしてすぐ切られ、殆ど機能していないのが実情である。

本件判定二では、笈瀬中においては「職員間の申し合せによりできるだけその休憩室で喫煙することとされており」と認定しているが、職員間にそのような合意が成立している事実はない。

(三) 本件判定一の理由③及び本件判定二の理由③④について

(1) 事務所則における濃度基準は、均一的に拡散した汚染物質の濃度を基準としているが、これは暖房器具などによる空気汚染については妥当であるとしても、たばこの煙による空気汚染の規制の必要性を判断するための基準としては不適当である。すなわち、たばこの煙は瞬時に拡散するわけではなく、特に換気が殆どない室内では、ただよう煙が棚状になったり、層状になったり、多少の換気があっても濃淡の帯状を呈して流れるものであり、また、仮に換気が十分で平均的汚染レベルが低くても、間欠的に濃厚なたばこ煙が移動するという現象もある。

(2) 仮に、事務所則の基準によるとしても、判定の基礎となった空気汚染の測定は、その方法において極めて不十分なものであり、原告らの職場におけるたばこ煙による空気汚染の実態を反映したものではない。すなわち、測定日自体各三日と極めて少ないうえ、たばこの煙による空気汚染が著しいとされる時期での測定は各一日に過ぎず、会議中の状況についての測定も行われず、測定時における喫煙者数も日常的な喫煙人数を反映していない。また、高濃度の主流煙や副流煙に直接さらされる場合についての測定は全く実施されておらず、希釈された汚染の調査のみでは非喫煙者が吸入する空気の汚染の実態は把握することができない。

(3) 右のような調査においてさえ、両校における炭酸ガス濃度、浮遊粉塵量ともに建築物環境衛生管理基準を満たしていないのであるが、ビル衛生管理法四条三項によれば、同法が対象とする以外の建築物であっても、同法の定める基準に従って管理するように努めなければならないとされているのである。

(4) 公害対策基本法に基づく告示「大気の汚染に係わる環境基準について」によれば、浮遊粒子状物質の環境基準は、一時間値の一日平均値が0.1以下とされているところ、前記調査によれば両校とも右基準を超える結果がでている。

(四) 本件判定一の理由④及び本件判定二の理由⑤について

原告らが職員室において生徒に対し教育活動を行う際、生徒が受動喫煙の健康被害にさらされている状態は、原告らの教育活動に重大な支障を及ぼす。また、原告らは教師として生徒の喫煙を取締り、規制・監督すべき立場にあるところ、職員室にたばこの煙がたちこめている状態では生徒に対する指導の影響力は著しく減殺され、生徒指導上重大な支障となる。したがって、これらを改善することは、まさしく原告らが教育活動を遂行するうえでの勤務条件の改善の問題というべきである。

(五) 本件判定一の理由⑤及び本件判定二の理由⑥について

情勢適用の原則(地方公務員法一四条)は、現に被害が切実な状況にある場合に、これを防止するための措置を否定する根拠として用いられるべきものではない。

また、平等取扱の原則(地方公務員法一三条)も、「大多数」の職場で喫煙規制がされていないことを理由に「喫煙規制をしなくても不平等とはいえない。」という否定の論理として用いられるべきでない。

2  原告らが本件措置要求を求めた根拠等

(一) たばこ煙に含まれる有害物質

紙巻きたばこの煙には四〇〇〇種類以上の化学物質が含まれているといわれ、その中には発癌物質をはじめとする数多くの有害物質がある。そして、これら有害物質は主流煙より副流煙により多く含まれる。例えば、タールで1.5倍、ニコチン1.7倍、ベンゾ(a)ピレン3.4倍、一酸化炭素2.5倍、ジメチルニトロソアミン五二倍などという数値が示されており、また、シガレット主流煙がPH六前後で弱酸性であるのに対し、副流煙はPH九前後のアルカリ性を呈し、粘膜に対する刺激性がずっと強いのみならず、発癌物質の含有量は副流煙の方が主流煙に比べて数倍から一〇〇倍も多いことが明らかにされている。

(二) 受動喫煙の健康被害

(1) 非喫煙者にとってはたばこの煙を吸い込む以前にたばこ煙によって目や鼻、のどなどを刺激されるのがまず耐えがたく、特に副流煙を中心とする置きたばこの刺激は強烈である。

受動喫煙に遭遇している非喫煙者の中には、年齢、性、アレルギー性疾患の有無とは無関係に、様々な症状を訴える者がいるが、その症状としては、目の刺激(痛み、かゆみ、流涙など)、鼻の症状(くしゃみ、鼻つまり、かゆみ、鼻汁など)、頭痛、咳嗽、喘鳴などがある。また、受動喫煙者は、その吸入が専ら鼻腔経由であるため、わずかの副流煙でも鼻粘膜を刺激して不快感や苦痛を引き起こすと同時に、一過性に呼吸の抑制、心拍増加、抹消血収縮などをもたらす。

(2) 受動喫煙の慢性生体影響

① 肺機能障害(抹梢気道機能障害)

米国での報告によると、家庭での受動喫煙のない非喫煙者が職場での受動喫煙を二〇年以上にわたって経験した場合、努力性呼気流量低下として現れる抹梢気道機能障害が男女ともに存在し、その機能低下の程度は一日当たりシガレット一〇本までの肺喫煙又は口腔喫煙を二〇年以上継続した能動喫煙者にみられる機能低下に匹敵するとされている。

② 肺癌発生の危険との関連

平山雄氏の報告によれば、夫が一日二〇本以上たばこを吸っている場合、吸わない場合に比べて、妻が肺癌にかかる率が2.08倍も高くなるという。この平山報告以後、世界に一〇編以上の研究報告がされており、その殆どが家庭内受動喫煙による配偶者間の肺癌の危険性について有意な関連性があることを肯定している。

③ そのほかにも、呼吸器疾患をもたらす可能性は多々あり、受動喫煙の悪影響は計り知れないものがある。

(三) 受動喫煙による人格権の侵害

個人の生命及び身体の安全、健康の保持、精神の平穏ならびに人間たるにふさわしい生活を享受する権利は個人の尊厳にかかわる本質的なものであり、その総体が人格権として憲法上保障される。

健康であるということは単に病気でないということをいうのではなく、肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることをいう。

受動喫煙においては、まず悪臭及び刺激により不快感を覚えるが、このこと自体、人格権を右のように解する限り、人格権が侵害されているというべきである。受動喫煙には前記のように呼吸器や循環器への現実の害があり、さらにそのような害があるのではないかと不安を惹起すること自体が人格権の侵害である。

したがって、自己の意思に反してたばこの煙にさらされ、受動喫煙を強いられることは人格権に対する侵害である。

(四) 本件各措置要求と「喫煙の自由」との関係

原告らは喫煙者の「喫煙の自由」を奪おうとするのではない。喫煙者の自由は他者、とりわけ非喫煙者の人権との関係で無制約ではありえない。そして、「喫煙の自由」と嫌煙権は、分煙対策によって容易に両立することができるのである。原告らが要求していることは常識的かつささやかなことにすぎないのである。喫煙者が非喫煙者に迷惑をかけないで喫煙を楽しむために喫煙について一定の場所的制約を甘受すべきことは、排泄について場所的制約を受けるのと同じように当然の事というべきである。

逆に、いわゆる受忍限度論によって、原告らが受動喫煙の害にさらされることを容認することは許されないというべきである。すなわち、侵害行為の差止めを請求する場合、当該行為に社会的有用性又は公益性があるときは、右社会的有用性及び公益性と当該行為による利益侵害とを比較考量し、前者が優先するとき差止めを認めないとするいわゆる受忍限度論が用いられることがある。しかし、人の健康は、侵害行為から絶対的に保護される必要があり、受忍限度論による利益考量を適用する余地はないというべきである。

仮に、受忍限度論を適用するとしても、原告らが侵害されている利益は身体の健康という極めて重大なものであるのに対して、職員室における喫煙は、本来的に単に嗜好品を享受する行為にすぎず、社会的有用性や公益性はまったくないから、そのことによって原告らの請求が妨げられるものではない。

(五) わが国における喫煙の規制

わが国における喫煙規制の関連法規は、未成年者喫煙法、鉄道営業法、自動車運送事業等運輸規則、消防法、ビル衛生管理法施行令、事務所則等があるが、喫煙を直接規制することを目的として制定された法規は存在しない。しかし、能動喫煙による健康被害の知識は広く国民に浸透し、厚生省を中心として医療機関における喫煙制限の勧告がされているほか、最近では受動喫煙による健康被害や分煙の考え方から、職場における喫煙対策が急速に広がっている。

地方自治体の禁煙実施状況については、庁舎内禁煙が東京都三鷹市、愛知県津島市その他、会議中禁煙とするものとして愛知県、兵庫県、北海道、岐阜県、三重県の各衛生部の例がある。

(六) 原告らの措置要求の切実性と正当性

(1) 原告平山は、昭和五五年四月から名南中に勤務し、保健衛生を担当しているが、喫煙歴はなく、名南中に赴任直後から職員室のたばこの臭気による不快感、頭痛等に悩まされたことから、労働組合の集会や職員会議で職員室での喫煙を控えるよう、あるいは職員室に隣接する部屋を喫煙室にすることを求めるなど、職場における分煙対策についての合意を得るべく努力を重ねたが受け入れられず、本件措置要求に踏み切ったものである。

(2) 原告宮崎は、昭和五〇年四月から笈瀬中に勤務し、数学を担当しているが、昭和四一年から約一〇年間の喫煙歴がある。しかし、喫煙者であったころから文献等でたばこの害を認識するようになり、職員会議あるいは校長に喫煙の自粛を求め、喫煙室の設置を求めるなどして、職場における分煙対策についての合意を得るべく努力を重ねたが受け入れられず、本件措置要求に踏み切ったものである。

3  以上のとおり、本件判定一、二は違法であるから、その取消を求める。

二被告の主張

1  被告は、本件各措置要求の申し立てに対し、その各判定の理由で示した客観的事実を正確に認識したうえで、法令違背の有無、情勢適応の原則及び平等取扱いの原則が遵守されているか等、諸般の観点から検討し、国内における喫煙に関する意識変革、社会的規制等の進行に対応して市教委も全市的に教職員の理解を得たうえで、将来的には順次様々な処置を実施することによって根本的解決をはかるように努めることを希望しながら、現時点では、市教委において名南中及び笈瀬中に喫煙室を設置する必要をみとめないとの結論のもとに本件各判定をしたのであって、その判定は裁量権の範囲内にあり、適法・妥当なものである。

2  本件各判定の理由には原告らが主張するような違法は存在しない。

(一) 本件各判定の理由①②について

事情聴取に当たっての人選につき学校管理者等の関与はなく、公正中立に行われた。名南中及び笈瀬中において、原告ら以外の職員からは職員室でたばこの煙が気になるといった苦情はなく、また、喫煙室の設置を望み、あるいはその必要性を訴える者はなく、喫煙室設置について学校内の意思形成はされていなかった。

(二) 本件判定一の理由③及び本件判定二の理由③④について

(1) 事務室での喫煙を直接規制した法令は存在せず、事務所則が事務室の環境管理の一環として一酸化炭素等の基準を定めているのが唯一の基準である。したがって、被告が本件判定をするに当たり事務所則によるべきことは当然のことである。

(2) 被告の測定方法は、名古屋市衛生研究所の関与のもとに行われたもので、原告ら主張のような違法な点はない。測定に当たっては職員室の換気及び職員の喫煙については何らの規制をすることもなく、むしろ通常どおりであるよう配慮した。

(3) 原告らの主張する浮遊粒子状物質の環境基準は、「大気」における環境基準であり、換気設備があるとはいえ大気に比べ密閉度の高い職員室とは、自ずからその基準対象を異にしているので、右基準をもって単純に比較すべきではない。

(三) 本件判定一の理由⑤及び本件判定二の理由⑥について

(1) 地方公務員法一四条(情勢適応の原則)は、民間企業の労働者の労働条件が、社会情勢の変化や経済の変動に即応してこれを弾力的・機能的に変更することが比較的容易であるのに対し、公務員の勤務条件の場合は、議会の議決を経て法律又は条例を改正しなければならない場合が多いため、社会・経済の動きに応じて弾力的に対応することが比較的困難な仕組みとなっているところから、本条を定めて、地方公共団体の各機関に対し社会情勢の変化に即応して適時に適切な措置をとるべき努力義務を課し、その結果職員の経済的権利を守り、優秀な人材を確保し、公務能率を維持することを図っているのであるから、右原則は、勤務条件の適正妥当を考慮するうえで配慮すべき重要な原則である。したがって、勤務条件の一つである本件各措置要求の内容が適正妥当なものであるかを判断するに当たり、右原則を遵守すべきことはいうまでもない。

(2) 地方公務員法一三条(平等取扱いの原則)は、勤務条件のみならず、すべての分限、懲戒、服務など、同法のすべての規定の適用に通ずる基本原則であって、本件のような措置要求が出された場合において、それが右原則に反しているかどうかを判断するうえにおいて、国、都道府県等の地方公共団体、民間及び問題となっている地域において、措置要求のあった勤務条件がどのような取扱いになっているかを比較検討することは重要であり、その結果として、申し立てられた措置要求が認められない場合もあり得ることは当然である。

第四争点に対する判断

一本件各判定が理由として検討した諸点について

1  原告ら以外の職員の職員室における喫煙についての認識等

(一) 名南中について

名南中職員室に席を置く職員は昭和五八年度が四一名、うち喫煙者一四名、昭和五九年四月一日からは職員数四二名、うち喫煙者一五名であった。原告平山(非喫煙者)は、昭和五七年秋ころ喫煙の自粛を、昭和五八年三月ころ喫煙室の設置を求める要望を職員協議会(いわゆる職員会議)に出したが、他の職員の賛同を得られなかった。そして、原告平山以外には、職員会議で喫煙自粛を提唱する動きはなく、たばこの煙の被害を他職員に訴える職員もなかった。被告によって実施された非喫煙者に対する事情聴取によっても、右と同様に、特にいわゆる受動喫煙の被害を訴えた者はなく、他人の喫煙が苦になったり、むせたりすることはない旨の回答がされている(<証拠略>)。

(二) 笈瀬中について

笈瀬中職員室に席を置く職員は、昭和五八年度が三四名、うち喫煙者が九名、昭和五九年四月一日からは職員数三一名、うち喫煙者が一〇名であった。原告宮崎(昭和四一年から約一〇年程の喫煙歴がある)は、昭和五八年二月ころ、同僚にたばこ煙の害の説明を内容とする資料を配布して喫煙の自粛を求めたのをはじめとして、昭和五八年一〇月一三日には喫煙室の設置を求める要望を職員会議に出したが、最初の時には、ある職員から、この職場には換気扇もない、煙がたちこめた時には窓をあけていたという発言があったものの、それ以上には特に意見を述べるなどして右原告の提案に積極的に賛同する者はいなかった。被告によって実施された非喫煙者に対する事情聴取によれば、生徒指導上の面から喫煙規制の動きはあったが、職員室でたばこの煙のため気分が悪くなるということはなく、職員会議の際も喫煙者全員が一度にたばこを吸うことはないから室が煙って困るということもなかった旨の回答がされている(<証拠略>)。

2  職員室の利用状況及び設備等

(一) 教諭である原告らの拘束時間は午前八時三〇分から午後四時までであるが、午前八時三〇分から一〇分ないし一五分は職員全員が参加する朝の打ち合わせがあり、授業と授業の間に放課が一〇分ずつ合計四〇分、昼休みが五五分あり、職員は右時間は職員室にいる。担任を持つ職員は生徒の食事指導という形で教室に一五分程いて、残った昼休みを職員室ですごす者がいるが原告平山は平均して二時間程職員室にいる。また、職員室に全員が集まる機会としては職員会議、教師の研究会である現職教育がそれぞれ月一回の割合で約一時間程開催される(<証拠略>)。

(二) 名南中においては、ソファーを置いた休憩コーナーが職員室内に設けられており、昭和五八年四月ころその近くに空気清浄機が、また、昭和五七年三月末ころには中央管理方式の空気調和設備が置かれ、職員室内には換気扇が二台設置されていた(<証拠略>)。

(三) 笈瀬中では、以前から職員室との間を簡単な間仕切りで仕切った約三メートル四方の休憩室があり、そこに換気扇が昭和五八年二月ころ設置され、更に昭和五九年四月ころには職員室にも二台の換気扇が設置された。そして、右休憩室は、喫煙の際に利用されることはあったが、放課の時間などは自席で喫煙する者もいた(<証拠略>)。

3  一酸化炭素等の濃度

被告が名南中及び笈瀬中の各職員室で測定した測定結果は別紙「名南中の職員室の空気環境測定結果」「笈瀬中の職員室の空気環境測定結果」表のとおり(<証拠略>)であり、事務所則との関係は前記本件各判定の理由③及び本件判定二の理由④のとおりである。ただ、右測定の際における喫煙者の数が、原告らの調査した喫煙者の数(<証拠略>)に照らすとかなり低く「○」人の場合もみられるから、職員室が常時測定結果の示すような状態にあるがどうかについては多少の留保を要するが、そのことだけから右測定値を排斥することは相当でなく、一酸化炭素に限れば原告平山の測定結果とも整合している。

4  喫煙に対する規制の状況

(一) 被告が本件各判定をするに当たって、昭和五九年四月までに調査、集計した結果によれば、政令指定都市の学校のごく一部に、会議中の喫煙自粛の措置がとられていること、被告が把握している都道府県及び政令指定都市の庁舎内での喫煙制限については職員用の喫煙室が設置されているところはなく、事務室内での喫煙が禁止されている所もないこと、財団法人愛知県肺癌対策協会が昭和五九年五月に実施したアンケートによれば、何らかの形で喫煙が制限されている企業は一七一社のうち三二社(18.7パーセント)であること、名古屋市立の幼稚園、小中高等学校、養護学校のうち本件各判定時までに何らかの喫煙の制限の措置がとられている学校は約一割で、会議中の喫煙自粛、喫煙コーナーの設置による喫煙時刻の制限の措置がとられているにすぎない(<証拠略>)。

(二) 鳥羽市役所では昭和五八年一〇月一日から喫煙所を、岐阜市立長良東小学校には喫煙コーナーが遅くとも本件判定時までにそれぞれ設置され、愛知県渥美郡赤羽町では昭和六〇年四月から町職員の庁舎内禁煙の措置が、半田市立亀崎中学校では本件各判定があった後間もなく職員室の一部に喫煙コーナーが設けられたほか、昭和六〇年に愛知県肺癌対策協、全国禁煙活動推進連盟が、全国の企業の二二九六健康保健組合に郵送による調査を実施したところ、五二八組合から回答があったが、五二八社中一〇六社(20.1パーセント)が喫煙対策を実施しており、その内容は禁煙日、禁煙タイムを設けている(四二社)、勤務時間中は禁煙で喫煙所を設けている(三六社)、会議中禁煙などであった(<証拠略>)。

5  喫煙室を設置することの実現可能性

(一) 原告平山は、名南中で昭和五八年に職員室に接して男子更衣室が設置された機会に同所を喫煙室にするよう求めたが、更衣室としての必要があって職員の希望により実現したものであるため、他の職員の賛同がえられず、他に適当な場所もなかった。(<証拠略>弁論の全趣旨)。

(二) 原告宮崎は、笈瀬中において、業務室を喫煙室にするよう求めたが、そこは木造畳敷で、通いの栄養士が休憩等に使用し、しかも職員室から約四〇メートル程離れていることから、喫煙室とすることは困難な状態であり、他に適当な場所はなかった(<証拠略>弁論の全趣旨)。

二健康被害について

受動喫煙が健康に及ぼす影響について原告の主張するところは、疫学的知見としては、原告が挙示する証拠(<証拠略>)によっておおむねこれを認めることができる。そして身体の健康に関する事柄である以上、受動喫煙を強いられないことの利益は十分に保護されなければならないが、他方、喫煙の嗜好及び習慣は長年にわたり社会的承認を受けて推移してきたところから、今なおそれに執着し、個人的嗜好の問題として他から容喙されることを好まない相当数の人の存在も無視することができず、健康被害が統計的手法によって示されざるをえないこととの関連においても、受動喫煙を強いられることをもって直ちに人格権の侵害として違法ということはできず、何らかの利益考量的判断は避けられないといわなければならない。

三本件各措置要求の当否について

1  受動喫煙を強いられないことの利益が尊重されるべきことは前記のとおりであり、いわゆる分煙がそのための一つの賢明な方策であることも明らかである。そして、それを実現するための方法としては、喫煙の害に関する知識の普及、教育、喫煙者との協議、説得など、種々のものがあり得るが、原告らが本件各措置要求において求めているのは、物的施設としての喫煙室の整備と、喫煙は喫煙室においてのみ行うものとする一種の規制措置であると解される。なお、前記認定のとおり、原告らは本件措置要求を申し立てる以前に、同僚に対する協議、説得などに務めており、それらによって成果が上がらなかったところから本件各措置要求の申し立てに及んだものと思われる。

2 本件各措置要求の申し立てを受けた被告としては、問題自体が必ずしも原告らの勤務校に特有なものでなくより一般的なものであること、物的施設としての喫煙室の整備には予算的裏付を必要とするが、より広い範囲の問題として考えた場合直ちには対応しかねる問題であることなどから、前記認定の各測定調査を行ったうえ、前記の判定理由の検討を経て、本件各判定を行ったものと認められる。

そして、前記認定の各実情に照らすと、受動喫煙対策一般については教育委員会の今後の行政上の指導的措置に期待することとし、現時点において原告らの求める措置までは必要がないとした被告の各判定は、行政庁の裁量の範囲内にあるものと認められ、そこに原告ら主張の違法はない。

四よって、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官清水信之 裁判官遠山和光 裁判官後藤眞知子)

別紙<省略>

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